第14回 大阪講演会
開催月日:2016年07月30日(土)
開催場所:AP大阪梅田茶屋町 H+I+Jルーム

はじめに(風と心もよう)
大阪駅頭の空気は、高温多湿、粘るような風が首をなでた。途端に心の安定を欠いて周囲を窺ってしまった。かつて、木曽路の奈良井宿で、宿の浴衣に下駄を履いて、くれなずむ宿場町を歩いた。袂に吹き込む高原の風は涼しく、こころがはずみ散歩の距離が長くなった。ベトナム、ホーチーミン市の街頭で雨宿りをしたことがある。熱風と共にやってきたスコールの後に涼風が吹きぬけた。青空の下で電話番号を交換するカップルが出来上がっていた。風には、人の心を動かす力がある。

善人と悪人は紙一重
廣岡先生の講演では、「まくら」の部分で善良であるがゆえに悩む医師の姿を描いており、こんなお医者さんに治療してもらいたいものだと思いました。

「個人としては、社会的には出来るだけ病人が少ないほうが良い。医師である私は、世のため人のために一生懸命病人を減らそうとして治療に専念する。そして、2度と病院には来なくて良いように完璧な治療をしようと考えている。しかし、同じ医師が、病院経営している立場になると、お客さんが多いことは大歓迎、もっとお客さんを増やそうと努力して、2度も3度も来てもらうよう工夫する」。

個人としては人の幸福を願っても、立場が変われば人の不幸を利用しようとする。人の心には、善人と悪魔の両方が住み着いており、立場の違いによって、聖人になったり悪魔になったりするというお話でした。

悪魔の声に誘われて
2016年7月29日付の毎日新聞に拠れば、某大学医学部付属病院では、肝臓手術に伴う死亡者数が異常に多かったという。そこで日本外科学会が調査したところ、この病院には第一外科と第2外科があり、それぞれの医師たちは、手術の技術が未熟でありながら手術数を競っていたという。未熟な技術であるだけに死亡者の数も増える。この医師たちは、死者を出してでも自らの技術を磨いたということだろうか。やがて、手にする名医の称号のために。

一時期、「揺らぎ」という言葉が流行った。揺らぎとは、「ある量の平均値は巨視的には一定であっても、微視的には平均値と小さなズレがある」とある。人間を巨視的に見ればみな善人だが、何かの衣を纏うと善人の枠から外れてしまうことがある。人間の性であろう。悪魔の声に誘われて手術数を競った医師たちも、職場を離れて一個人に立還ればもちろん善人であると思いたい。が、筆者にこんな勘繰りをさせてしまう現実があるのも事実だ。

揺らぎの中で治療する
冒頭の廣岡先生の「まくら」の医師のように、「基本的には善人であるが、人の道をはずさない範囲でチョイ悪をやってしまう時もある」と自覚し、自問自答しながら患者に接する医師の治療を受けたいものですね。

【参加された方の感想】